「正解」を手放した、私の台所。

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「これ、何分茹でればいいですか?」
「塩ひとつまみって、何グラムですか?」

料理を習い始めたころの私は、
先生にそんな質問ばかりしていました。
返ってくるのは、
「時間は決められません。自分で見て、食べて、判断してください」
という言葉。

当時の私は正直、
「その基準がわからないから聞いているのに……」と、
突き放されたような、
置いてけぼりになったような気持ちでした。
基準をもとに調整したいのに、
肝心の基準を教えてもらえないもどかしさ。

でも、料理を続けて10年。
最近、ようやくその言葉の真意が、体感としてわかってきた気がします。

「数字」は目安でしかない

10年前の私に教えてあげたいのは、
「数字は嘘をつくけれど、目の前の食材は嘘をつかない」
ということです。

小松菜を茹でる。
その時間は、その時々でバラバラです。
「3分」という数字を信じてタイマーをかけるより、
よく見て、味見してみる。
そのほうが、その時の最適解に近づけます。

青菜には、火にかけた後にスッと色が鮮やかになる瞬間があるんです。
そこで味見をすると、苦味から甘みを感じる瞬間に出会えます。
この瞬間が、一番おいしい!

「ねぇ、ちょっと食べてみて!」と、
半ば強引に夫へ試食を押し付けることもあります
(美味しいの強要……笑)。

味見をしない時もあります。
感覚で勝負。
固かろうが茹ですぎだろうが、
「これが今日の正解!」と腹をくくる。
当たる時もあれば、外す時もあり。
今日の運勢占いみたいで楽しいんです。

料理家の土井善晴先生も仰る
「見て決めてください」という言葉。
それは「正解を当てろ」というプレッシャーではなく、
「今、この鍋の中で起きている変化を楽しんで」という、
料理の醍醐味への招待状なのだと思います

10年かけて、ようやく「会話」ができるようになった

少しだけ塩を入れて整える。
「もう少しかな?」ともう一度味を見る。
その瞬間、味がパッと決まって、
食材が生き生きと輝き出すポイントがある。
それはレシピ本の文字を追っているだけでは、
絶対に出会えない感動です。

料理の初心者だったころの私には、
そんな「食材との対話」なんて、
難しすぎてさっぱりわかりませんでした。
でも、10年。
毎日台所に立ち続けて、失敗と成功を繰り返す中で、
少しずつ、少しずつ。

「あ、今だ」という感覚が、
指先や舌に、体に馴染んできたんです。
かつての計量命の私が、
今では目測で土鍋ごはんを炊けるようになりました。

遠回りしたからこそ、伝えられること

もし今、あなたが
「味を見てと言われてもわからない!」と悩んでいても、
全然大丈夫です。
10年かかった私から言えるのは、
「わからないまま、やり続けていい」ということ。

いつか、ふとした瞬間に、お鍋の中の野菜と心が通じ合う時が必ず来ます。

料理は、正解を当てるテストじゃありません。
「今日は茹ですぎちゃった、てへ」という失敗も、
全部あなたと食材が過ごした「一期一会」の大切な時間。

数字に頼るのを少しだけお休みして、
目の前の「音」や「色」や「味」を信じてみる。
自分の五感を信じてみる。

いつしか、自分と空間が一致する感覚。
今、ここ、私がそろう感覚。

そんな風に、自分自身の感覚で料理の舵を切れるようになったとき、
台所はもっと自由で、愛おしい場所になるはずです。

 

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